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若い力が、社内に変化をもたらす。株式会社丸山運送(前編)

以前「逆境を力に変え、挑戦を続ける」で紹介した株式会社丸山運送。今回は、丸山運送の変化の中心にいるマーケティング本部 栃山 剛さんにお話をお伺いした。丸山運送に入社して、1年半。全くの別業界にいた栃山さんこれまでの挫折、丸山運送との出会いを聞いた。

環境の変化が生んだ、新しい自分

-どんな学生時代を送られていたんですか?

地元は北海道なんです。今からは想像もつかないってよく言われるんですけど、小学校時代はいじめられっ子だったんです。だから、もちろん好きな人に好きとも言えないような影でひっそりとしてるような子どもだったんですけど。ただ小学校6年生の時に転校したんですね。そうしたら、転校した先でモテ期があったんですよ(笑)。本当にテレビでやるようなモテ期があったんですよ。 元々は積極的というよりはどちらかというと、内気なタイプの子供でしたね。

-確かに想像がつきません。大きな転機があったのですか?

実は転校した時に、ジャニーズがすごいブームだったんですね。具合が悪くて病院に行った時に、その時のナースの人がすごいアイドルが好きな方で、その人が「ちょっと写真を撮っていい」みたいな感じになって。加えて、学校の友達が事務所に写真を送って、オーディションを受けることになってみたいなことが最初のきっかけだったんですね。

親と東京まで行って、オーディションを受けて、まさか受かると思ってもなかったんで。オーディションが終わって帰ろうとしてたら、「そのままレッスンを受けて帰ったら」って話になって、「来週もまたレッスンあるから来たら」みたいな流れで芸能活動が始まっていったんです。だから、 金曜日の授業が終わったら、そのまま東京に行くような生活を送ってましたね。

実は、その事務所自体は半年ぐらいしかいなくて。12歳ぐらいの子どもが、急にちやほやされると感覚がよくわからなくなってきてしまって。でもダンスや芝居の練習はとても楽しかったんですね。それでダンスや芝居をもっとやりたいなと思ったんです。 その時に別の事務所から声をかけてもらって、タンスや芝居を本格的にスタートして行きました。

挫折から見つけた、自分の「核」

-順風満帆に見える芸能活動ですが、いつまでやられたのですか?

芸能活動は21歳まで続けました。高校卒業してからは芸能活動一本で。この21歳の時が本当に辛かったですね。

グループの解散です。18歳の時にグループを結成して、デビューに向けて準備を続けていたんですね 。まずは、インディーズでデビューして結構順調にいってたんですね。ただ、結局いろんな理由が重なってデビューすることができなくなってしまったんですよ。その時は本当にきつかった。

この時は本当にどん底の状態まで落ちて、かなりひきづりましたね。ふと自分が本当に何をしたいかって考えていた時に、芸能活動をしていた時は僕がいることで誰かを幸せにできるって思ってたんです。ちょっと大げさかもしれないですけど。だから、やっぱり僕は「自分がいることで誰かを幸せに出来たり喜んでもらえる」そんな仕事がしたいってことに気づいたんですね。もともと芸能活動をしている時も衣装とかも全部一人でやっていたので、その時できることと自分の軸を照らし合わせた時に「アパレル」という一つの選択肢が出てきました。

-アパレル業界では具体的にどんな仕事をしていたんですか?

店長・バイヤー・企画 、全ての仕事をやらせてもらいましたね。 その時に海外への輸出とか物流関係の業務あったんですね。その時に物流関連の仕事に少し面白さを感じていたんですよ。そんな時、この丸山運送の代表の三浦の息子さんと北海道で出会ったんですね。 その頃は運送会社やってるって知らなかったんですけど。 当時はアパレル業界でキャリアを築いて行こうかなとも考えていたんですけど、いろんな人から「バイヤーだったり物流関連の業務を楽しそうにやってるね」っていう声をかけてもらうことがあって。自分ってこっちの道もありなのかなていう風に気がついて。

自分の「核」をつらぬき、異業界への転職

-転職されて1年半。これまでを振り返っていかがですか?

正直、物流会社って外から見るとあまり明るい印象がなかったんですね。それを覆したいなと思って。丸山に入社してからは、「今まで物流会社にいないような人が入ってきた…」みたいな空気も少しはあったんですけど、入社して1年半が経って、会社の色も少しずつ変わってきて。自分がいることによって周りの色が変わる、なおかつ自分のやりたかった仕事ができる。最高の環境だなって思っています。

だから解散した時に感じた自分の核は、おそらく今も変わっていなくて。 辛い経験があったからこそ今があると思ってるんですね。 今まで経験したことをプラスに捉え、どんなことがあっても過去の挫折があったから成長できる。逆に周りの人にはそんな辛い経験がないようにしたいという気持ちを持って生活していますね。

誰かの幸せを追求する生き方

-最後に、栃山さんのこれからの展望を教えてください。

STUDIO080は丸山運送の事業の多角化の一つとして成功させたいなと思います。かつ、多角化の中心にいたいなと思ってます。やっぱり物流会社がやるシェアオフィスは面白いなと言われるように頑張りたいですね。入居者同士が家族のような空間にしたいな。そんな空間になればよりフラットな場になり、何か新しいものが生まれるんじゃないかなと思います。

将来は何ですかね。一段一段ステップアップしてきている、そんな気がするんです。今までは単純に自分が経営者になりたいなってなんとなく思ってたんですけど、最近は「人生の豊かさ」ってなんだろうなあって結構考えるようになってきたんですよね。いろんな人を見てるといろんな幸せの形があるじゃないですか。自分が幸せになるためにこんな仕事をしているって人もちろんいますけど、自分自身の今までの行き方は他人が幸せになるためにどうしたらいいだろうっていう生き方だったので。おそらく僕は誰かが幸せになるために生き続けるのかなと思っています。

僕の家もそんなに裕福な家庭じゃなかったんですね。幸せってすごい単純なはずなのにどうしてこんなに難しいんだろうって幼心なりに感じていて。そんなことを経験した自分だからこそ周りの人を少し笑顔にできる力を持ってるんじゃないかなって。

自分が年を重ねる度に自分の将来の完成がどんどん見えなくなっていくんですね。ディズニーランドみたいに完成ってないのかなと思っていて。幸せを感じるのって時代によっても全然違うじゃないですか。 それでも僕はその時その時に応じて誰かの幸せのために働くことが自分の幸せなんじゃないかなって感じてます。

株式会社丸山運送

インタビュイー
マーケティング本部 栃山 剛
代表者名
代表取締役 三浦 一夫
プロフィール
創業から57年、今日まで夢の実現のために様々なことに挑戦しながら成長してきました。時には失敗することもありましたが、その悔しさをバネに多くを学び挑戦し続けてきました。 「失敗を恐れずに挑戦をし続けること」は丸山のDNAです。 企業が発展を続けるためには国内のみならず海外においても厳しい競争に打ち勝たねばなりません。 企業か停滞してしまうとサービスが陳腐化してしまいます。陳腐化したサービスは、すぐに新しいサービスに駆逐されてしまいます。生き残る唯一の手段は変化し続けること。「イノベーション」です。 挑戦し続け新しいイノベーションを生み出す、感動創造企業を目指しています。 【経営理念】 一、私達は、安全の確保を最優先に、明るく働きがいのある会社を目指します。 一、私達は、共に成長し、社員全員が幸福を共有できる会社の実現を目指します。 一、私達は、常に顧客の視点に立ち、課題解決が実践出来る感動創造企業を目指します。 一、私達は、総合物流事業を通じ、地域社会への貢献並び地域社会との調和を目指します。
事業内容
・一般貸物自動車運送事業 ・第一種利用運送事業 第二種貸物利用運送事業(外航海運) ・倉庫業 ・自動車整備事業 ・通関業 (横浜税関許可・東京税関許可・門司税関許可) (保税蔵置場) ・労働者派遣事業法に基づく人材派遣業 ・産業廃棄物収集運搬業 (宮城県・仙台市・山形県・岩手県・福島県・秋田県・  青森県・群馬県・茨城県・埼玉県・千葉県・東京都
本社所在地
仙台市宮城野区港4丁目1番地2
資本金
3,000万円
従業員数
280名
事業所
仙台(本社)、東京、福岡、盛岡、上海
URL
http://www.the080.co.jp/

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